アウシュヴィッツ強制収容所の路地

この記事では、ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』をご紹介します。

あらすじや著者情報、歴史的背景、名言とともに、関連する書籍や映画作品などもまとめました。

『夜と霧』とは?(あらすじ)

 

アウシュヴィッツ強制収容所の入り口の看板
(アウシュビッツ強制収容所が作られたとき、門に掲げられた皮肉なモットー。意味は「働けば自由になる」)

『夜と霧』は、ナチスの強制収容所での体験が描かれた文学作品です。

1946年に出版、日本を含む17か国語に翻訳され、70年以上に渡り世界中で読み継がれる大ベストセラー。

英語版の発行部数は900万部に及び、1977年には改訂新版が出版されています。

また読売新聞が2000年の年末におこなった「読者の選ぶ二十一世紀に伝えるあの一冊」というアンケートでは、翻訳ドキュメント部門の第三位に選ばれました。

精神科医であった著者のヴィクトール・フランクルが、自身が強制収容所での過酷な生活を生き抜いた経験を、収容期・収容所生活期・解放期の3つの期間にわけて、心理学の見地から分析しているのが本書の特徴です。

著者が名のある医師でありながら、特権を持つエリート収容者としてではなく、一般収容者として過酷な生活を生き抜いた生々しい記録が綴られているのも特筆すべき点でしょう。

『夜と霧』の由来

1956年に刊行された日本語版の「夜と霧」というタイトルは、1941年にアドルフ・ヒトラーにより発せられた統制命令に由来します。

ナチス・ドイツにとって危険とみなされる政治活動家や抵抗主義者を選別する目的で発せられ、収監者は過酷な労働や拷問を強いられ、虐殺される者もありました。

夜と霧により少なくとも6639名が捕縛され、うち340名は処刑されたそうです。

また新訳版の訳者である池田香代子氏は、本書のあとがきに次のように書かれています。

このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。

ちなみに原題の日本語訳は「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」です。

『夜と霧』の著者、ヴィクトール・フランクルについて

『夜と霧』の著者、ヴィクトール・エミール・フランクル(Victor Emil Frankl)は、1905年生まれのオーストリアの精神科医・心理学者です。

アドラーやフロイトに師事し、ウィーン大学で精神医学を学びました。

ウィーン大学医学部精神科教授やウィーン市立病院精神科部長としてドイツ語圏では知られた存在でしたが、1942年に、両親と妻とともにテレージエンシュタット(強制収容所)に移送されました。

フランクルは医師ですが、強制収容所では(解放前の数週間以外)医師として働いたり特別な待遇を受けていたわけではなく、ごくふつうの被収容者でした。

このため1945年4月にアメリカ軍に解放されるまで、いくつかの収容所で筆舌に尽くしがたい過酷な労働を強いられました。

解放後はウィーン市立総合病院神経科部長に就任、1955年からはウィーン大学教授も務め、1971年まで勤務しました。

1997年9月2日に92歳で永眠。

『夜と霧』の歴史的背景(ナチス・ドイツとアウシュヴィッツ)

アウシュヴィッツ強制収容所の獄舎

『夜と霧』の中で描かれているのは、ナチス・ドイツの時代です。

1933年から1945年までの間の、アドルフ・ヒトラーと国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)によって支配されていた時代のドイツを特に、ナチス・ドイツと呼びます。

ナチス・ドイツはヒトラーを中心とした独裁国家で、他国への占拠や侵攻を繰り返し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦を引き起こしました。

また人種主義(反ユダヤ主義)による極端な人種政策によって、何百万ものユダヤ人や反体制派の人間を強制収容所へ投獄、殺害しました。

このナチス・ドイツによる大量虐殺及び絶滅政策をホロコースト(The Holocaust)と呼びます。

1945年4月30日にヒトラーが妻とともに自殺し、翌5月、ナチス・ドイツは連合国軍に敗北、解体され滅亡しました。

数多く存在した強制収容所の中で、ガス室や焼却炉を備え、最大級の犠牲者を出したのがアウシュヴィッツ(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)です。

アウシュビッツでは、約110万人の人々が死亡したといわれています。(諸説あり)

これは広島市や仙台市の人口に匹敵する数であり、大戦における英国と米国の死者数の合計よりも多かったそうです。

ヴィクトール・フランクル自身も数日間アウシュヴィッツに収容されましたが、『夜と霧』で描かれる大部分は、いわゆる絶滅収容所と呼ばれる、小規模な強制収容所にまつわる話です。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館

アウシュヴィッツ強制収容所があった場所は現在、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館として残されています。

ドイツにあると思われがちですが、実際はポーランドの南部に位置しており、亡くなった人々を追悼する記念碑や保存されたガス室、犠牲者の写真や遺品などが展示されているそうです。

1979年に世界遺産に登録され、日本では負の世界遺産とも呼ばれています。

『夜と霧』の名言

アウシュヴィッツ強制収容所の風景

『夜と霧』の読んで特に心に響いた言葉をご紹介します。

愛について

今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

ユーモアについて

ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。

ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。収容所生活は極端なことばかりなので、苦しみの大小は問題ではないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ。たとえば、こうも言えるだろう。人間の苦悩は気体の塊のようなもの、ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。空間の大きさにかかわらず、気体は均一にいきわたる。それと同じように、苦悩は大きくても小さくても人間の魂に、人間の意識にいきわたる。人間の苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、ほんの小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。

生き方について

強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。

かつてドストエフスキーはこう言った。「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」

そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。

およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦労と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、また人生最期の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。

人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしどげるかどうか、という決断を迫られるのだ。

現実をまるごと無価値なものに貶めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくりくるとはいえ、ついには節操を失い、堕落することにつながった。

収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受けとめず、これは非本来的ななにかなのだと高をくくり、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていたほうが得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。被収容者として過ごす時間がもたらす苛酷さのもとで高いレベルへと飛躍することはないのだ。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェの格言)

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ

生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。

ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性を唯一性は、仕事や想像だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

『夜と霧』の関連作品

『夜と霧』に関連する本や映画をご紹介します。

夜と霧 新版 Kindle版

日本語訳の『夜と霧』には、1956年に出版された霜山徳爾氏訳の旧版と、改訂新版をもとにして2002年に出版された池田香代子氏訳の新版があります。

旧版は原著と比べてセンセーショナルさを煽る部分があり、フランクル自身も著書が現代史のドキュメントとして扱われることに戸惑いを持っていたため、1977年に出版された改訂新版では内容にかなり手が加えられています。


↑新版


↑旧版

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』は、まだ夜と霧を読んだことがない人へ向けた解説書です。

NHKの「100分de名著」シリーズは、古典や名作の全体像がわかりやすく書かれているので、いきなり訳書を読むのが不安な人にオススメです。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う』は、夜と霧の著者であるヴィクトール・フランクルが、ナチスの強制収容所から解放された翌年にウィーンの市民大学で語った講演集です。

死と愛【新版】――ロゴセラピー入門

死と愛【新版】――ロゴセラピー入門』は、ヴィクトール・フランクルが解放後に著した心理学の学術書です。

『夜と霧』と並ぶフランクルの代表作で、ロゴセラピーと呼ばれる独自の療法を説いています。

新版は、夜と霧が出版された翌年の1957年に霜山徳爾氏訳で刊行された旧版をより読みやすくし、新たに解説も付されました。

『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉

「夜と霧」ビクトール・フランクルの言葉』は、ヴィクトール・フランクルのメッセージを集めた名言集です。

映画

アウシュビッツ ナチスとホロコースト(2004)

アウシュビッツ ナチスとホロコースト』は、ナチス・ドイツとホロコーストの全体像を学ぶことができる全6話のドキュメンタリー作品です。

ナチス・ドイツの被害者や深く関わった人々のインタビューを交えながら、「アウシュビッツがなぜ作られたのか」「アウシュビッツではどのようなことが行われていたのか」などの真実を知る手がかりに触れることができます。

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ヒトラー ~最期の12日間~(2005)

ヒトラー ~最期の12日間~』は、アドルフ・ヒトラーが自殺し、ナチス・ドイツが崩壊するまでの最期の12日間を描いた作品です。

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戦場のピアニスト(2019)

『戦場のピアニスト』は、ワルシャワで活躍していたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンのゲットー(ユダヤ人隔離地域)での体験をもとにした作品です。

ユダヤ人迫害の様子が生々しく描かれています。

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ナチス第三の男(2019)

ナチス第三の男』は、ホロコーストの実質的な推進者であったといわれるラインハルト・ハイドリヒの暗殺(エンスラポイド作戦)をテーマに描かれた作品です。

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まとめ

今回は、『夜と霧』について書かせていただきました。

(旧版は)約60年以上前にヒットした作品なので、今の若い人たちにとってはあまり馴染みのない作品かもしれません。

人間が同じ人間に対してどれほど残酷になれるのか。

極限状態を陥った人間の心はどんな風に変化するのか。

強制収容所で起こったことは、歴史上の事実として知っておかなきゃいけないことだと思ったし、生きることについて深く考えさせられる一冊でした。