勇気を出して褒めてよかった デ・ニーロのような紳士に憧れて

勇気を出して褒めてよかった デ・ニーロのような紳士に憧れて
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【ライタープロフィール】
にしむらけいいち@tuiteru365
85年鹿児島生まれ。立教大学文学部中退。ブログ「豊かな生き方研究所」を運営。心の不調や人間関係の悩みから引きこもりや転職をくり返していたが、斎藤一人さんの教えに出会って人生が好転。ブログでは"心の楽しさと経済的豊かさの両立”を目指してさまざまなことに挑戦する過程を発信している。

昨日、とってもうれしいことがあった。
職場に行って始業前の準備をしていたら、同僚のある女性が「おはようございます」とあいさつをしてくれた。

なんだそんなことかと思うかもしれないが、その人の方から「おはよう」と声をかけてもらったのは、記憶している限りはたぶんはじめてだったんだもの。

というのも、先日その同僚のことを褒めたんだよね。
コールセンターの受電業務なのでずっとお客様と話しているんだけど「隣で話しているのを聞いていて、いつも素敵な声だと思っていました」って。

(愛の告白とかそういう話では全然なくて、純粋に応対中の声や話し方が本当に素敵で尊敬しているんです。)

いつか伝えたいなと思いながら、なかなか勇気が出なくて、先日やっと伝えることができて。
正直、どう思われたか不安だったのだけれど、少なくとも悪い印象は与えていないようだし、以前より少しキョリが縮まった気がする。

コールセンターって基本的にずっとお客さんと話しているから、同僚と話さなくても仕事はできるんだよね。
だからチームワークもいらないし、意外とコミュ障な人も多かったりする。
積極的にコミュニケーションを取らないと「何年も一緒に働いているけど、あの人とはほとんど会話をしたことがない」なんてことも全然起こりうる。

ボクは元々コミュ障だったし、コミュ障を克服した(と自負している)今でも自分からグイグイいくタイプではない。
彼女も自分から話すタイプではないので、これまであまり接点がなかった。
でも声を磨きたくてボイトレにも通っているし、声が素敵な人には本当に憧れる。

聞いたら彼女はコールセンターとは別で声のお仕事をされているらしく「どうりで」と改めて感心した。

結局、昨日もあいさつ以外はほとんど話せなかったのだけれど、一歩前進。
せっかく一緒に働いている仲間なんだし、どうせならみんなと仲良くなって笑顔で働きたいよね。

声をかけてもらえたことでテンションがあがっていたのか、昨日は別の同僚に対してもホメを実践できた。

名づけて間接褒め。
「○○さんが、めちゃくちゃ褒めてましたよ」って。

間接的に褒められることで、直接褒められるよりも喜びが大きくなるらしい。
第三者もいる前で褒めることで、さらに効果はアップする。
実際、同僚もすごく喜んでくれていたように思う。

そういえば昨日は褒めただけじゃなくて褒められたことも思いだした。
大雨だったこともあっていつもは着ない服を着ていったら「いいじゃん」と褒めてもらってすごくうれしかった。

やっぱり「褒め」ってすごいな。
人と人の心に橋をかける最高のコミュニケーションツールだ。


ガラッと話が変わるけれど、ボクには今、なりたいものがある。紳士だ。

「マイ・インターン」という映画を見て、主演のロバート・デ・ニーロが演じる紳士があまりにカッコよすぎた。

アン・ハサウェイ演じる若手社長、ジュールズが経営するITベンチャーに、シニア・インターンとして採用された70歳のベン(デ・ニーロ)。

はじめはジュールズから腫れ物扱いされていたベンだが、ベンの紳士的で大人な立ち振舞いに、ジュールズはもちろん、会社全体が影響されていくヒューマンドラマ。

「ハンカチは貸すためにある。女性が泣いた時のため。紳士のたしなみだ」

これは同僚から「毎日ハンカチを持つ意味がわからない」と言われたときにベンが返したひと言だ。痺れるねえ。

ボクもハンカチは常に持ち歩いているけれど、それはトイレで洗ってびちゃびちゃになった手を拭くためだけのものだった。
でもそうじゃないんだ。
タオル地のお手拭きとハンカチーフはまったく別物。
ハンカチは紳士のたしなみである。
明日からは2枚持ち歩くことにしよう。

いくつになっても外見も中身も子供っぽさが抜けないのがコンプレックスなボクなので、「大人」という存在に対しては人一倍憧れが強い。

「紳士とは?」という命題に対する個別具体的な答えをつらつら書きだして、ひとつずつ自分のモノにしていけば、いつかは自分もデ・ニーロのようなイケてるオヤジになれるだろうか?


ブログを書く意味について、最近よく考える。

お金のため、直接的に収入を得るためのツールとしての意義は、自分の中ではすっかり薄れてしまった。

お金は大事だし、お金を稼げるということは、ブログを書くモチベーションを保つのにも大きな効果がある。

ただしお金を稼ぐためのツールとして、ブログは非常に効率が悪い。

10年前より稼ぎにくくなったのは紛れもない事実だし、10年後にはさらに稼ぎにくくなっているのも明白だ。

ブログで稼ぐことで生き残ろうと思ったら、ブログで稼ぐ方法を発信するブログを書くのが一番てっとり早い。

ブログで稼ぎつづけることの大変さを知っているから、多少でもブログで稼げた人の多くはそのポジションへ上がろうとする。

どこまでいっても中身のない商売。
マルチ商法やネットワークビジネスと構造はさして変わらない。

そこに愛はあるのか?そこに社会的意義はあるのか?

↑過去の自分に対する戒めの言葉であって、誰かを批判しているわけではないので悪しからず。

お金のためではないとすれば、何のためにブログを書くのか?

人生を充実させるための発表の場所として、価値を見出してみるのはどうだろう。

発表は、人を劇的に成長させる魔法の杖だ。
発表の機会があることで、人は真剣になり、勉強熱心になる。

もちろん、舞台に立って大勢の前で話をするのも発表だが、オンラインで全世界に向けて考え方を発信するのも立派な発表と言える。

YouTubeでもSNSでもよいのだけれど、文章で発表をする媒体としてはやはりブログが強い。

つまり定期的に発表をすることで、自己成長を促し人生を充実させるためのツールとして、ブログは非常に有効なのだ。

自己成長を主軸に置くのなら、発信する内容も挑戦したこと、実践したことがメインとなる。

もちろん何を食べたどこへ行ったみたいな内容でも悪くはないのだけれど、ただの日記に留まらず、そこに何かチャレンジが含まれているのが理想的だ。

直近のブログがこれまでと少し毛色が違うのには、そんな意図も含まれている。

決して面倒くさいからという理由だけで、構成を無視したり、見出しや装飾をカットしたりしているわけではない。(面倒くさくないとは言っていない)

SEOもCTAも気にしないので、書きたいことを書きたい順番で書きたいように書く。誤字脱字も気にしない。

あるいは脳の排水。

イメージは『ずっとやりたかったことを、やりなさい』のモーニングページに近い。
モーニングページは手で書いて誰にも見せないことが前提なのでまったく別物ではあるのだけれど、頭の中でゴチャゴチャしている思考を吐き出してアーティスト脳を呼び起こすという目的には適っているんじゃないか。

結構時間がかかるので毎日書くというのは当分難しいけれど、休日を中心にしばらく続けてみる所存。

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この記事を書いた人

85年鹿児島生まれ。立教大学文学部中退。ブログ「豊かな生き方研究所」を運営。心の不調や人間関係の悩みから引きこもりや転職をくり返していたが、斎藤一人さんの教えに出会って人生が好転。ブログでは”心の楽しさと経済的豊かさの両立”を目指してさまざまなことに挑戦する過程を発信している。
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